2010年6月16日 春日井の自宅から自家用車で信長公の愛した生駒家の娘(吉乃)の暮らした館跡と彼女の墓を詣でて、小牧城へと向かう。
ここが吉乃の暮らした実家生駒屋敷跡です。現在は一部が保育園となっている。 生駒氏はもともと藤原忠仁の子孫で応仁の頃、戦乱を避けるため大和の生駒山麓からこの地に移り住んだらしい。 尾張を統一し天下布武をもくろむ信長は、生駒氏の経済力と情報収集力(生駒氏は馬借業として販路を拡げ、三河以東に勢力を張っている今川氏の動向をキャッチしている)に着目し、生駒氏との関係を深くしていくことになる。しばらくして生駒家宗の娘吉乃を室として迎え二人の間には嫡男の信忠、次男の信雄、徳川信康室になる五徳の三人の子ができた。 また弘治元年(1555)頃に木下藤吉郎は生駒屋敷を訪れ、蜂須賀小六の家来になっていた。 この吉乃の取りなしで藤吉郎は信長に仕えることになるのだ。信長は、蜂須賀小六や前野将右衛門等から情報を集め、桶狭間奇襲や美濃攻めなどの構想もここで思案したという。 |
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生駒屋敷跡の石碑 | |
生駒屋敷から100メートルのところに生駒氏の氏神であった龍神社があります。当時ここのあたりに信長と吉乃が逢瀬を重ねた吉乃御殿があったという。 | |
龍神社です。後ろの森あたりに吉乃御殿があったのかも。 | |
嫩桂」山(どんけいざん)久昌寺です。昔この寺にふたばの桂があり久しく昌えるという意味から名づけられた。生駒家代々の墓があります。吉乃もここに眠っています。 | |
お寺の本堂です。 | |
吉乃の方の墓の案内版がありました。 | |
生駒家代々の墓です。一番右側に吉乃の方の墓があります。 | |
拡大したところです。吉乃の方の左は吉乃の方の両親の墓です。 | |
神明社本殿です。慶長15年(1610)再建です。こんな古い神明造りはめずらしい。 | |
久昌寺境内に桂の木がありました。お寺の名前になった双葉の桂かどうかわかりませんが。 | |
久昌寺から車で10分程で小牧城に着きます。これは土手あとです。 | |
ここは広い空間が広がっています。武家屋敷が並んでいたそうです。 | |
武家屋敷の敷地から井戸が見つかっています。相当大きな井戸です。 | |
こちらにも武家屋敷が広がっていたようです。春は桜祭りがこの広場で行われ大勢の見物客が訪れます。 | |
大手口からなだらかな坂道を登っていくと小牧山の頂上にでます。頂上には地元の篤志家が寄付をした模擬城(歴史館)があります。 | |
模擬城の天守閣からの眺めは最高です。360度遮るものがなく、ここに城を築いた信長はさすがです。遠方の高層ビルは名古屋駅前のJRタワーとトヨタのビルです。 | |
頂上には信長時代に巨石を積み上げて石垣にした跡が残されています。 | |
これも巨石のひとつでしょうか。頂上から下っていく途中にありました。 |
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